月谷焼 陶彫 月谷初子 作 霊芝 如意 置物 共箱 保証。
寸法:H約cm×W約cm×S約cm。現在確認中。
1869年 東京に生れる。本名は乾はつ。1880年 12歳より小倉惣次郎に彫塑を学ぶとともに、イタリア人彫刻家ラグーザに師事。1896年 東京上野の彫工会展で銅牌受賞。その後当時の日本を代表する展覧会で次々と受賞。日本初の女流彫刻家として脚光を浴びる。1899年 彫工会出品を最後に公の場から去る。世俗の名誉を捨て、10歳年下の若者との愛の逃避行であったが、この時真葛香山(真葛焼)に弟子入りする。1913年八幡の陶・宮本鶴松に招かれ、九谷焼窯元で陶彫を製作・指導する。(月谷の製作した九谷焼の観音は『八幡の観音さん』として好評を博し、今でも人々に親しまれている。)1915年 名古屋市昭和区御器所に、陶房「緑陶房」を設け「忍焼」を始める。彫刻と茶器を作陶した。日展作家後藤白童はこの「御器所時代」1927年に入門。約4年間師事した。1930年 守山区内の瀬栄陶器社宅地内に工房を設け、同社のノベルテイー原形制 作の傍ら「忍焼」を制作。(陶芸家加藤唐九郎、日本の女優第一号と言われる川上貞奴とも親交があった。)1939年 6月夫の青也の他界とともに、1942年秋まで病身で知己を頼って放浪。1942年秋〜1943夏 かっての門下生・白童のもとに投宿。再び瀬栄陶器で制作を再開。1945年 2月19日 守山区内の病院で他界。◆乾月谷の波乱の一生が描かれた「女流陶芸家先駆け・月谷初子 月の炎 桑原恭子著」が平成12年7月31日に出版されている。
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